二ビルの日記

私の人生も半世紀過ぎました。 まあ、地球上で定義された時間においての話ですけど… ふと… 「学校で学んだ事はテーゼなのか?」 私の先祖を調べていたら、 いつの間にか天皇家の系図を調べていたり… 神武天皇の前は? 神様?神様って? 神様が地球を創造した? 今はインターネットがあるので情報は探せます。 今後、 宇宙誕生の謎?・人間って何者? スピリチュアリズム・氣・魂って? 惑星X 二ビルとは? みたいなテーマで書いていきたいと思います。

自分が何者か知りたくて、先祖の系図を調べる

自分が何者なのか?

考えたことは誰でも1度はあると思います。

手掛かりになるのは、

親戚

苗字

住んでいる場所

こんなところでしょう。

代々受け継がれているところには、

古文書が残っているかもしれませんね。

私の場合は3代前でわからなくなりました。

あとは、インターネットを頼りに

仮説をたて、

「たぶん、ここから来たのだろう」

の世界です。

私の苗字は佐藤です。

佐野の藤原氏の子孫である可能性が高いと思われます。

加藤は加賀の藤原氏

伊藤は伊勢の藤原氏

やはり藤原氏にたどり着く方は多いでしょう。

藤原氏は、五摂家

近衛

高司

一条

二条

九条

が有名ですが、さて

藤原氏の祖は誰になるのか?

藤原鎌足中臣鎌足

ですね。

中臣鎌足は死ぬ1日前に、

天智天皇中大兄皇子)から

「藤の花咲くが如く、子々孫々繁栄するように」

と藤原の姓を頂いたそうですが…

そんなにタイミングよく、死ぬ1日前なんて…

私は、中臣鎌足が亡くなってからの後付けでは?

と考えています。

古事記日本書紀を編纂した(書き換えた)

藤原不比等鎌足の息子)は絡んでいるのではと。

現在残っている古事記日本書紀は元々の原文とどれだけ違っているのでしょうね。

話を元に戻しますが、私の祖先は藤原鎌足ではないか?

まで辿り着きました。

中臣鎌足が藤原姓で過ごしたのは1日なので、

今度は、中臣鎌足の先祖を探らねばなりません。

しかし、中臣鎌足は白村江の戦に行く時と帰って来た時とでは別人のようだという説もあります。

まあ、すり替えがなかったとしても、中臣鎌足の素性は情報が少ないのです。

ここから先はまた後日書くことにして…

五摂家をはじめとする藤原家は長い歴史の中で天皇家を陰から支え?(牛耳って)きましたから、天皇家との関りも調べたくなりますね。

今年、平成から令和と年号が改められましたが、

マスメディアでは「退位」そして「即位」と報道されていますが、

「譲位」ですよね。

戦後初めてにこだわっていますが、歴史上「譲位」は何度も行われています。

戦後、日本国は違う国になってとでも言いたいのでしょうか?

大政奉還の際、幕府から天皇に権力が移りました。

そして、敗戦し「国民の象徴」になってしまいましたが、

大政奉還の時、遷都したわけではないので京都御所から赤坂御所に天皇家が移ったわけではないですし…何かを隠しているのではないかと詮索してしまいます。

天皇家の謎はトップシークレットらしく、八咫烏と藤原家などで守られています。

結局、私は何者で先祖はどこから来たのだろう?

また、ちょこちょこ書いていきます。